2015年07月16日
銀座マキシム・ド・パリ
銀座マキシム・ド・パリが6/30で閉店しました。
1966年東京の銀座にオープンしたマキシム。
オープン当時はどんな様子だったのでしょうか。
フランス政府から『歴史的記念建造物』に指定されている本店(パリ店)と同じ仕様です。
49年続いた日々の演奏のなかでは、ほんのわずかの日々、演奏に伺っていました。
ですので、映画にマキシムがでると、一瞬でもすぐにわかります。
本店にいるような気分になれるダイニングルームは19世紀末から20世紀初頭に
ヨーロッパを中心に流行ったアール・ヌーボーの装飾がほどこされています。
ダイニング、ラウンジ共、予約がいっぱいで、慌てて予約しようとした私は時すでに遅し。
ですが、ご縁あってラウンジにご予約なさっている知人がいて、ご一緒させていただきました。
生まれた家が古く、祖父の趣味で重いシャンデリアや絵画、重厚なインテリアで暗く(?)
落ち着いた内装だったためか、
マキシムは自分の家にいるような違和感のない居心地でもありました。
その家がなくなるときも心痛みましたが、
マキシムの佇まいに親近感がありましたので、ビルの老朽化とともになくなると聴き、
心痛みます。
店内の全てが哀しんで諦めて時を待つのかという気がして。。
また、あの歴史的な素晴らしい内装の店を壊してしまわず、
ユニクロの社長でも、どなたかでも、そのままご自宅にでも移築して
保存して住んでいただけないのだろうかと思ったりします。
シャンパンをいただいたり。
テリーヌを切り分けていただいたり。
出演当時のサービスの方にもちょっとお会い出来たり。
こちらもいただきました。
こちらは階段。
このなかにオナシスとマリア・カラスが
デートでいらしたときのサインも。
全部本国フランスのマキシムに権利があるため
それらは全て本国へ戻ります。
最終日、ここで演奏してらして、
久しぶりの再会。
どんなリクエストにも応えるのが私たち演奏者の責務。
断わってはいけない。
ので大量の譜面を置いていました。
休憩に必死に探したり、またはyoutubeで聴いて
譜面を書いて。
ドレスを着て優雅に演奏する私たちでしたが、
裏ではバタバタしていることもありました。
こちらはラウンジの受付。
ステンドグラスが美しいです。
ダイニングにはお食事に伺ったことがありましたが、
ラウンジは最初で最後となりました。
ここで出会いご自分の御店を開いたり、
他へ移られたりなさった方と
今もご縁は続いています。
そうそう。
こんな記事を見つけました。
ミッドタウンにこんなお店が7/18にOPEN。
http://www.wwdjapan.com/life/2014/07/18/00012991.html
いろいろなところへマキシムの伝統が引き継がれて
新しい何かを生み出していくのでしょうか。
私の職場でもあり、好い縁をいただいた場所でもありました。
マキシムと関係者全ての皆さんに
改めて
ありがとうございました。